大箆柄岳(おおながらだけ)登山記録(2005年9月19日)

大箆柄岳登山行程
 07:00 垂水フェリー 鴨池港集合(富窪、仁部、川上)
 07:10 鴨池港出発  
 07:45 垂水港到着 内田合流 垂桜へ
 08:50 垂桜への道路が寸断され、新たなルートを探す 
 10:00 長尾登山口より登山開始
 14:10 大箆柄岳山頂到着
 15:00 下山開始
 17:15 長尾登山口に到着
 19:10 垂水フェリー 垂水港到着
 19:10 垂水港出発
 19:50 鴨池港到着

 2005年9月19日は信じられないほどいい天気の朝でした。私は5時に起きて山に登るための準備をしました。朝食としてパン2つ、牛乳コップ1杯をとり、リュックサックを背負い、使い慣れた登山靴を履き、玄関を出ました。6時40分、前夜に予約しておいたタクシーが家の前に待っておりました。タクシーの運転手さんは初めて見る顔であまりおしゃべりをしない人なのできょうのいい天気のことばかり話して少しうつらうつら寝ました。7時、垂水フェリー鴨池港に着きました。7時20分に富窪さんと待ち合わせをしていたので、ベンチに腰掛けてリュックの中に入れていたおにぎり2つを食べました。実は、このおにぎり、私の朝食が少なすぎるからと妻がタクシーの中で食べるように朝作ってくれたのです。7時10分、富窪さんと仁部君と合流し、富窪さんのRV車に3人乗り、フェリーに乗り込みました。当初の予定は7時35分発の便に乗船するつもりでしたが、一便早く大隅に渡り内田君と合流しようとなったわけです。

フェリーから吉野方向を写す
サイコーの天気、すばらしい桜島

 フェリーの甲板から自宅のある吉野の方にカメラを向けパチリと撮りました(写真)。風が気持ち良く、錦江湾がすごくきれいです。吉野公園のあたりに少し雲がかかっていますが、天上にはまったく雲はありません。鹿児島のシンボル桜島も錦江湾に浮かんで(写真)、すばらしい一日の始まりを象徴しているようです。

 久しぶり垂水フェリーに乗ってうろうろと船上を歩きました。フェリーのスピードが速いために鹿児島市がどんどんと遠くなっていきます。海から見る鹿児島市もなかなかの姿でありました(写真)。フェリーは桜島の沖を進み、それに連れて桜島の姿が変化していきます(写真)。いろんな形の桜島、とても興味が出てきました。鹿児島人として桜島の七変化を写真に撮るのもいいなあとふと思ったものです。

フェリーからみた鹿児島市、一番高いビルが鹿児島県庁
南側から見た桜島

 鹿児島市のある薩摩半島から大隅半島に渡るには、鹿児島市船舶部の桜島フェリー南海郵船の垂水フェリー南九船舶のなんきゅう(大根占指宿間)の3つのフェリーがあります。私はなんきゅうには乗船したことはありませんが、桜島フェリーや垂水フェリーにはずいぶん昔から乗ったことがあります。幼少時のころは桜島に住んでいたので桜島フェリーにはことさら親しみがあります。

 

 さて、垂水港に着き、内田君が同乗し4人になりました。運転手富窪さん、助手席にナビゲーターの内田君、後部座席に仁部君と私が座りました。天気が最高であることが後押しして浮き浮き気分で高峠方面に向かいました。ナビゲーターの内田君は鹿屋市出身なので大隅半島には詳しいのです。県道71号を走り山間部に入るところで「垂水市新御堂 崩落 通行止」という電光掲示板が出ていました(写真)。いきなり出鼻をくじくメッセージです。RV車だから何とかなるであろうという希望的観測を4人とも持ち県道71号を奥へ奥へと入っていきました。10分くらい山道を走ると大きな崩落で道路が封鎖されています。さすがのRV車でも進めません。つまり、垂桜(たるざくら)から大箆柄岳を目指すコースはあきらめなければなりません。こんなに天気がよいのにと意外ですが、これは台風14号の後遺症です。大隅地方は台風14号による大雨で大きな被害が出ていました。

 

 「しまった!すみませ〜ん!コンビニに寄るのを忘れていました!これじゃ、弁当も水もない。」私は自分の愚かさを恥じながらみんなに謝っていました。道路が通行止めになっていなかったら弁当と水をもたずに登山を始めていたかもしれません。こんな暑い時期で大量の汗をかくのだから水なしなんて大変おそろしいことです。崩落に助けられた結果となり、私たちは県道71号を引き返し新たな登山コースに向かって鹿屋市方面に向かいました。途中、コンビニに立ち寄り弁当とドリンクを1.5リットル買いました。この1.5リットルがのちに後悔されることになるのです。国道220号を走り郷之原トンネルを過ぎると大型ショッピングセンターや大型パチンコ店の立ち並んだエリアに出た。地元の抱える問題などを内田君に教えてもらいながらRV車は国道504号へを北上していました。高隈中央を抜け重田から上高隈町に入りました。


 地元の人たちに登山口を訊きましたが。そこの林道に入っていくと大箆柄岳の登山口(写真)があるけれども車でどこまで行けるかわかりませんよと言われました。案の定、2〜300m入ると重機(ブルドーザー)に出会い、工事関係者に道を開けてもらい、行けるところまで行くことにしましたが、さらに2〜300m入るとがけ崩れがありました(写真)。
 10時00分、 RV車を降り、みんなリュックを背負いいよいよ登山開始です。記念撮影をしました(写真)。崩落した土砂を乗り越え、林道を約1kmほど歩きました。歩き始めは簡易舗装でしたが、すぐに石ころむき出しの荒廃した林道に変わっていました。台風によって折れた木々や葉っぱがたくさん散らかっていたり、どんぐりが落ちていたり、あちこちから水が出ていました。林道の左側はずっと水の流れる音がします。右手が岩の絶壁になっている場所になりました。「スズメバチが飛んでる〜!」とだれかが叫びました。私もとっさに身をかがめ2,3匹のスズメバチが飛んでいるのを見ました。刺されたらアナフィラキシーショックを起こして死んでしまうこともあるからこれはやばいと思いました。スズメバチは黒いものや動くものを攻撃してくることを思い出せず、身をかがめダッシュして大箆柄川を渡りました。そこから数分歩くと大箆柄岳長尾登山口がありました。さあ、これから本番の登山の開始です。台風で林道が荒れていなければここまで車で来れたのですが…。

※ アナフィラキシーショック対策としてエピペンというアナフィラキシー補助治療剤があって携帯できます。こんなことなら持参すればよかった。

出発前の記念撮影(撮影:内田君)
右奥にスズメバチの巣のある崖
スズメバチの巣
大箆柄川の支流を渡る。スズメバチから逃れた直後

 10時25分、いきなり雑木林の中に入り、かなりの傾斜のある道を登り始めました。道がどちらに向かっているかはわかるのですが、台風の暴風によってかなり倒木がみられるし、木切れが散在しています。これが足にからまったりして歩きづらいです。20分ほど登ると、「大箆柄は左。山頂まで早い人で100分、遅い人で140分です」と書かれた小さな看板がありました(写真)。ここまで登ってきて予想以上に傾斜があるのに不安が募ってきました。暑さで汗がどんどん吹き出てきます。体重が重いために動悸が始まっています。それから10分もしないうちに息がゼーゼー心臓はバクバク、たぶん私一人苦しい思いをしています。小さな声で「休憩しましょう〜!?」と提案しました。「どっこらショ!あ〜、つかれた〜。ふ〜」よく見ると、腰をドカンと下ろして座り込んでいるのは私一人でした。富窪さん曰く、「私は山では立って休むようにしているのです。座ると急に疲れが出てきて足の筋肉が痛くなったりします。」と。富窪さんは確か私よりも16才くらい年が上のはずなのに体力で私が負けています。まだ始まったばかりの登山、これから先が思いやられます。


 「ヘビがいますね〜。マムシかもしれないですよ。 」「こんな山の上(標高1000mぐらい)にもマムシがいるんですね〜」「殺しておきましょうか?」「いやいや、やめましょう。そっとしておいた方がいいですよ」さまざまな会話がなされましたが、私はしっかり休憩したかったので座って見ておりました。遠巻きに見ながら、マムシにしては銭模様がないのでアオダイショウではないかと思いましたが、ここは経験豊富な富窪さんのいうとおりだろうと思い直し、あとで確認するために内田君に写真を撮ってもらいました(写真)。(ヘビを詳しくみたい人は写真をクリックしてください)

 

 ヘビに追っかけられてはいけないと足に力がみなぎってきて、サッサと歩き始めました。先頭を仁部君、内田君が行き、3番手が私、シンガリを富窪さんが務めてくださっています。傾斜がどれくらいあるのでしょうか。優に45度はあります。60度以上あるのではというところもありました。筋力を使います。暑いです。歩きながらも水分をガブガブと飲みました。
 ヘビと出会ってから約1時間後、車を降りてから約1時間40分にやっと等高線1000mの看板のところへたどり着きました(写真)。私はすっかり疲れた顔になっております。よく見ると目が虚ろではありませんか。帽子の下にタオルをかぶっておりますが、これには理由があるのです。ここにたどり着くまでの数分間アブに好かれてしまい、私だけをねらってブンブンいいながら顔に近づいてくるのです。手で追い払っても追い払ってもしつこく近づいてきます。そうしてとうとう左肩を刺されてしまいました。一瞬すごい痛みが発生したので瞬時に肩を引っ込めアブを払ったので毒を全部注入されずにすみました。スズメバチでなくてよかったのですが、何で私だけにまとわりつくのだろうと不思議に思っていました。今調べてみると、スズメバチやアブなどは甘い匂いが好きらしいので、私の甘い汗の匂いに喜んで寄りついてきたのかもしれません。
 さらに約1時間経ったころ、東の方に下界が見えました。高隈ダムでできた大隅湖が眼下に見えました。周囲の木の高さもいくぶん低くなり、そろそろ頂上かなと期待がもてます。ましてや、こんな風景を見ると、俄然力が出てきます。「もう少しじゃ〜」私は心の中で小さく叫びながら自分を励ましていました。はっきり言って下肢の筋力がなく、天候が少しでも悪くなれば頂上を目前に勇気ある撤退をしてもよいと思えるほどに疲労を感じていました。このとき私たちはどんなところを登っていたかというと、傾斜がきつく相当な斜面にできた道を登っていました。その道の左側は木が生い茂っていましたが、もし木がなかったら崖で怖くて歩けないようなところでした。

等高線1000m地点
大隅湖を眼下に見る

 ゴールまであと40分、頂上まで1kmの地点で撮った記念写真です。いつのまにか私は水戸黄門になっています。両手に杖を持ち、重い体を気力で頂上へと運んでいるのです。苦しい中で昔、韓国岳(からくにだけ)に登ったときのことを思い出し笑ってしまいました。そのころ私は今よりも10才以上若く元気でしたが、当時の病院職員20〜30人で登山したのです。その中の60才の年配の人がちょうど今の私のように疲れて両手を子どもたちに引っ張られ頂上を目指しました。私たちはしばらく歩くと、遅い年配の人を待ったのですが、結果としてそれが長い休憩になってしまい、年配の人が来ると元気な私たちは歩き始めるというパターンになってしまいました。年配の人が「私が着いたらみんな休憩をやめて歩き始める〜!!全然休憩がとれない」と嘆いていました。今、その状況が立場を変えて再現されています。今一歩一歩、私は気力と限界が近づいた体力で登っています。
 「頂上まで1km、ファイト」の看板があってから500m、400m、300m,200m,100mと100mごとに私を励ますかのように看板がありました。この間は稜線を歩いているようでほとんど傾斜がありませんでしたが、最後の数10mはかなりきつい登りでした。
  14時10分、とうとう大隅一高い大箆柄岳1236.8mの頂上にたどり着きました。みなさんのご配慮で私がトップで頂上に立たせてもらいました。大きな石があって見晴らしがすばらしいです。私は憔悴しきって一応ピースなどしていますが、やったなと感激感動しています(写真)。ほんと、風景はサイコーでした。360度のパノラマ。遠く、霧島連山、志布志湾、薩摩半島、開聞岳などが見えました。

 頂上に着いて慣例としてビールの缶をあけて軽く一口飲んで祝杯としました。なぜ一口だけかと言うと、帰り道に不安が大きかったので絶対に酔ってはいけないと感じたことと飲料水がなくなっていたので、帰りはビールをチビチビ飲みながら喉の渇きを癒そうと考えたからです。コンビニ弁当を半分だけ食べて残りは山のアリさんにあげました。これも腹いっぱい食べると筋肉に血液が廻らなくていけないのではないかという慎重な考えに基づいた行動です。
 15時ちょうど下山開始。カメラもリュックの中に収めて滑らないように注意して歩くようにしました。さすが、 下りは早いものです。しかし、傾斜がすごいのには驚きました。こんな傾斜を登ってきたのかとみんなで感心していました。大腿筋がつっぱってかなり歩きにくくなり、しかも左足親指が痛くなり、強く踏み込んだときに激痛が走りました。痛風かあるいは爪が剥げたのではないかと不安を覚えながらも左足をかばいながらゆっくりゆっくりと傾斜を降りました。ゴールがわかっているので精神的には楽でしたが、それでも長い道のりです。もうすぐ着く、あとちょっと。最後の30分はほんと根性物語でした。
 17時15分、長尾の登山口に到着しました。私はソフト飲料水が足りなく喉が渇いていたので大箆柄川の水をすくって飲みました。それはそれはおいしい水でした。みんな満足感と達成感で水辺に座り込んでしまいました(写真)。そして、すばらしい天気に恵まれたことに感謝し、一日どっぷりと自然に溶け込めたことをうれしく思いました。

さて林道を歩いて、停めたRV車のところまで行かないといけません。痛い足でもう一頑張りです。(文責:川上秀一)

(後記)今回の登山には4人が参加しましたが、今年中に2回目の登山を予定することにしました。次は私のホームグランドである霧島がいいのではないかと勝手に思っています。同好会を立ち上げようという話もあり、会長だけは内田準二君と決定されています。
  今回の登山は、台風14号の暴風雨の後遺症で国道や林道が寸断されていたり、登山道も荒廃していました。台風後の登山にはこのような事態が容易に起こりうるので注意が必要と思いました。スズメバチ、アシナガバチ、アブ、ブトなどの有害虫、マムシ、ヤマガカシなどの毒蛇への対抗手段を持つべきと思いました。もちろん水と食料は十分に持参すべきでした。2005年9月25日